横浜の祈願所 関東随一大霊験所

八咫烏もろおかくまのじんじゃやたがらす

横浜の神社

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熊野神社由緒記

鎮座地 横浜市港北区師岡町1,137番地(東横線大倉山駅より東へ8分)
祭 神 伊邪那美尊(いざなみのみこと)
事解之男命(ことさかのおのみこと)
速玉之男命(はやたまのおのみこと)
境内地 約4800坪(一万六千平方米)県指定天然記念物
例大祭 8月24日
旧氏子区域 師岡、獅子ヶ谷、駒岡、上末吉、下末吉、鶴見、、馬場、北寺尾、東寺尾、西寺尾、東子安、西子安、生麦、東神奈川、西神奈川、六角橋、三枚橋、片倉、神大寺、羽沢、菅田、岸根、鳥山、小机、白幡、篠原、菊名、大豆戸、 太尾、大曾根、樽、南綱島、北綱島
建造物 本殿(権現造 柿茸 正徳2年) 拝殿(権現造 銅茸 明治17年)
覆殿・幣殿・翼殿(銅葺 平成17年)  以上 建坪 62,82坪
熊野郷土博物館(社宝、考古資料、民俗資料、刀剣、古文書等 約2000点所蔵)
社 紋 八咫烏(三つ足烏)紋
由諸記

この神社は聖武天皇神亀元甲子年(西暦724年)に全寿仙人によって開かれ熊野山の中腹に鎮祭し和歌山県熊野三社の祭神と御一体であります。
仁和元年7月には光孝天皇の勅使六条中納言藤原有房卿が此地に下向され「関東随一大霊験所熊埜宮」の勅額を賜わりそれ以来宇多、醍醐、朱雀、村上天皇の勅願所として社僧十七坊が附せられた。数多くの古神事の中に現在続行されて居る筒粥神事は1060回余にもなる。
観応2年6月17日雷火のため社殿は消失したが神体、社宝は無事であり特に貞治三年の熊野山縁起は現存して神社の故事を伝へて居る。例へば勅使着用の大口袴は大口の地名に残り、供奉者の足を洗った子安足洗川、顔を清めた西寺尾町字面滝、馬の鐙を納めた鐙宮(阿府神社)参向儀式の行われた式坂、更にいの池(指定地域史跡)、のの池、ちの池の故事等、枚挙にいとまがない。
享禄2年北条早雲公、慶長4年徳川家康公、寛永19年家光公、寛文5年家綱公より御朱印地を戴いたのを始め代々の将軍家の崇敬極めて篤く神社への御朱印は幕末まで続けられた。
明治元年神仏分離の際、熊野神社と法華寺とに二分され明治3年県社に列格したが、氏子の陳情する所あって明治6年三十三ヶ村の郷社に列した。
 その後、各所の整備造営工事を行ってきたが、平成17年「平成の大修造」と称し、覆殿・翼殿をはじめとする壮大な造営事業を実施し、更に平成26年「平成の大修造第二期」に着手し、手水舎新築、境内社整備参集殿改修等の事業を完遂し面目を一新した。

当社は、関東地方における熊野信仰の根拠地として、また、横浜北部の総鎮守の宮として古代より現代に至るまで広く篤い崇敬を受けている。

御社紋
江戸名所図会
江戸名所図絵より


人生の導きの神 足の守護神

師岡熊野神社の御社紋は、「八咫烏(やたがらす)」です。

この鳥は、熊野大神のお使いであり、初代神武天皇が熊野の山中で道に迷われた

天皇をお導きするために使わされたのがこの鳥でした

烏は、夜明けを呼ぶ鳥、太陽を招く鳥といわれます。人生の闇に迷い悩む人々を明るい希望の世界に導く

神の使いの霊鳥として、長く信仰されています



師岡熊野神社社務務所  〒222-0002  神奈川県横浜市港北区師岡町1137 TEL:045-531-0150  FAX:045-541-9356